2016/4/1 エイプリルフールにちなんで
「2025年問題」って言葉を聞くようになって、ぼんやりと時にはリアルに近い将来を想像することが増えてきた。
この国がどう舵を切るのか…
それを知ってか知らずか、どうでもいい欲求を満たす事に脳を支配されている者達。
深く考え始めると鼓動が荒く呼吸が苦しくなるから、ほどほどにしているけど…
考え始めるとどうしてもセーブが利かない。
結局、今自分に出来る事とか極端に考え始めて、「ギターなんか弾いてていいのかなぁ…」
と思わなくもない自分がいたりする。
多分、僕なんかが一人で毎日毎日考えた所でどうにかなるテーマではないんだろうけど…
役に立ってないもどかしい感じは、それ相当に苦しかったりもするから。
だからかなぁ…
いつもギターを持つことに意味を探してしまう。
昨日の朝
娘は昨夜怖い夢を見たらしく、その内容をしっかり覚えていて話しを聞かせてくれた。
怖い生き物から追われて家族三人で家まで逃げて来た、更に車で逃げようとしたら、同じ車が何台もあってどれが自分達の車かわからなくなったらしい。
そして午後
二人で買い物に行った帰り道で娘が…
「死にたくないなぁ〜」って言い出した。
「そうね…」言葉に詰まった。
娘が自分で選んだ運動靴を買って帰る途中、あまりにも嬉しそうだったから「履き替えてもいいよ」って伝えると、直ぐに履き替えて
「歯医者さんに行く時履いていい?」
「いいよ、気に入ったと?」
「うん」
更にその日の夜
老眼がしんどくて眼鏡を外してスマホを見ていると娘が…
「眼鏡がない方がいいね〜」って。
別に高級な車や、高級な時計は必要ないし。
殆ど無価値な組織内の肩書きも要らなければ、
食卓に何品ものオカズも要求したりしない。
いつもそうだけど…
今が幸せで仕方ない。
僕がギターを握り続けることが2025年問題の解決になるとは全く思えないが…
もしかするとボケた老人一人ぐらいは減らせるかもしれない。
家族で花見 だって。