2016/3/22 ハードスケジュール

2009年の昼と夜が丁度半分づつとなるお彼岸に親父は逝った。
親父の命日には親父の事を思い出すことにしている。
良くも悪くも親父の記憶が段々と薄れてるように思う。
親父が僕の学校行事に顔を出したことがあるのか、無いのか…もう僕の記憶には残っていない。

印象的な出来事やスチールに残っているシーンは半ば強引に記憶を掘り起こす事が出来るけど、何気無い日常の親父の言葉や声のトーンや表情を頭の中で映像化する事はとても困難な作業になってきている。

今は彼を親父として見ていないのカモしれない。
子供の頃親父を見ていた感覚とは違い、同じ立場で彼の事を考えるようになっている。

時々、今親父が生きていたら…
とか考えないようにしているけど、娘には会わせてあげたかったなぁ って。
娘にも爺ちゃんの優しさ味あわさせてあげたかったなぁ って。
親父は酒が飲めなかったけど、僕の家で一緒に酒が飲みたかったなぁ って。

往生際が悪くそんなことを無駄に考えたりもするね。

7年前に病院のベットで息を引き取っていく親父を目に焼き付けようと、黙って親父の顔を見続けた。
特別これと言った言葉を掛けてあげることは出来なかったけど、色んな事 感謝しかなかった。

あの時親父は何考えてたんだろう…

「ありがとう」って言葉しか出てこないね。
あるいは…「またね」

足を運ぶことが出来ていなかった親父の墓へ娘と母親を連れて行く。
久しぶりに会う母は更に老けていた。
道中同じ質問を何度も繰り返していたので6歳の娘から「それ4回目!」って叱られていた。
本人も多少なりと「熟成されてきたボケ」に対する自覚はしている感じではあるが…
深刻な空気が苦手な僕は娘に「何回同じ質問するか数えよってね」と、空気を弄ってみたり。

親父が眠る墓地へ到着すると路地に植えられた桜の花が咲き始めていた。
桜が咲き始めると「お別れ」をイメージしてしまう脳味噌。
親しい人とお別れする、あの抵抗のしようが無い、心に穴がボッコリ空く感じ。
やっぱし苦手のようだ。

親父と婆ちゃんの墓を参り、帰り道にあるうどん屋で空腹を満たす。
母親を自宅へ送り届けその足で娘の塾の体験学習に向かう。
塾に到着すると娘が会場にアウェイ感を感じ取っていることが手に取るようにわかった。
色んな感情を味わって自分で消化する術をマスターするしかないんだろうなぁ…
そんな呑気なことを考えながら授業を観察していると、途中娘が悔しさを露わにする場面があった。
出題の答えを娘だけが間違ってしまったようだった。
その事態を彼女は自分で受け入れることが出来ず、悔しさに負けて涙をこらえきれなでいた。

娘は助けを求めるように何度も僕の方をチラ見している。
僕は娘の目を黙って見つめ、心の中で「踏ん張れ」と声を掛けた。

今から先、嫌と言うほど味わうであろう優劣のある世界にある他人からの評価、採点、そして全く意味をなさない他人との比較。
そこで生まれる感情をコントロール出来る力を付けて欲しい。
そう願うばかりだった。

しかし、幼稚園を卒園したての子供達が、カタカナが書ける!とか漢字が書ける!とか足算が出来る!とか自慢気に話し、「凄いね〜」と言う大人達。

出来ない子は「凄くないね〜」と子供達には聞こえているように思えて、とてつもなくなく気持ち悪い。

授業の最後に参加した保護者が感想を求められた。
皆、当たり障りのない優等生な感想を話している。
なんとも懐かしいこの感覚。

久しぶりに吐きそうになった。

実はアウェイ感を感じていたのは娘ではなく、僕だったようだ。


我家の雪柳も春を知らせてくれる
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