2016/2/23 メジロの夫婦

晴れた日の夕方になると職場の隣に建つ民家の庭にメジロの夫婦がやって来る。
もしかしたら恋人、いや友達、ようわからんから夫婦って事にしとくけど。
奴等は僕が近づくと鳴きながらその場を飛んで行く。
おそらく警戒されているんだろうね。
何もしないのに…

少しだけ罪悪感にかられた僕はそこから距離を置くと、メジロの夫婦が戻って来た。
仕方ないから遠目で奴等の邪魔にならない様にタバコに火を点ける。

夕暮れに少し寂しい気分になる瞬間だったり。

今夜は満月だから白い月が出てきていやしないかと、早々と南東の空を確認してみる。
だんだんと陽が長くなり18:00を過ぎても辺りはまだまだ明るい。
月が昇る反対側に目を向けると往生際の悪い太陽がさっきまでブルー一色だった空をピンクとオレンジに染め始めている。

まだ、見えないね。

一旦諦めて19:00過ぎに再度空を見上げる。
綺麗な、まんまるの月が浮かんでる。


自覚として僕は世界を知らな過ぎる。
自分を構成しているアイデンティティの要素に世界はない。
あるとすれば人から聞いた話しやTVなどで観聴きした全て他人のフィルターを通している何の意味もない情報。
この事実は何処かでコンプレックスとなっている様にも思う。

誰かや何かのために自分が機能する。
誰かが喜んでいる実感なんかなくてもいいのかも、その人の糧になれたら。
世界を知ればそんな場所があるのかもしれない。

ある人から「いつもそんな事を考えているのか?」って質問を頂いた。
そんな事とは、人の振舞いや社会の現象や…
まぁ色んなシーンを僕は自分で何故そうなのか納得の行く理由付けをしようとする。
いわゆる分析ってやつだ。
常に分析しているから、分析結果どおしの結合でいつも自分の見解が生まれてしまう。
そして、何かのキッカケでその見解を露わにしなければならない時がしばしば訪れる。

それは単に癖の様なもので、その思考は殆ど無意識の状態で行われている。
そうする事に何か意味があるとか思ってもいないし、ただそうやって生きずにはいれなかっただけだ。

この癖が時々何かの役に立ったり、人を傷付けてしまったり、或いは拠り所となったり…
この「道具」を使いこなせるようにならないといけないね。

深夜に帰宅して布団に潜り込む。
なんならずっとこのままでもいいかなぁ
そう思えるほど心地よい。

話しがあちこち行ってるけど、僕の中ではは全部繋がっている。

見れてよかった。
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