2015/7/30 誰の論理

連日の猛暑はいささか生命の危機を感じるほど、陽射しが肌に突き刺さるような痛みを覚える。

今月はステージに立つ機会がなく、充電期間となっている。
しかし…僕の部屋にはエアコンがなく、この暑さでは長時間滞在出来ず、満足の行く稽古が出来ていない。

そう言えば思い出した。
昔、友達の親が所有する空家で毎日のようにバンドの練習をさせて貰っていた。
夏休みはほぼ一日中そこに入り浸り、Rockと麻雀パイの音を鳴り響かせていた。

当然エアコンなどの贅沢品はなく、音漏れ防止のために窓を閉め切っての練習は、サウナで我慢比べをするかのように大量の汗が流れた。
シャツには塩がふき、ギターは汗でビチョビチョ、新しく張り替えた弦も一瞬でサビるような始末だった。
練習が終わり、窓を開け外気を入れた時のあの清涼感は、窒息寸前で酸素を吸入した状態とさほど変わりはないのだろう。
そう思えるほど、空気のありがたみを身体中が味わっていた。

言わば、チョットした体育会系の合宿よりも過酷な中で、僕等は爆音と共に高校時代を過ごしていた。

あの頃を思うと今の自分が如何に贅沢な生き物に変貌してしまったのかと思わずにはいれない。

そして最近つくづく思う。
「誰の論理か?」
その事が見えていない思考が、結局失態に繋がって行くと言う事。
世間との繋がりを持たぬバンドはバンドとは言わない。

我家に2枚あるCD
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