2015/5/15 雨夜の月

ある人が絶望を味わう時、隣人がその恩恵に授かる皮肉な話しも、この世には多くある。

君が痩ければ、誰かが後ろから抜き去って行く。
転んだ時に負った傷が、激しい痛みでうずくまっていたとしても、皆んなはどんどん先に走り去って行く。

痛みを拭い、立ち上がり、また走り始める時。
周りにはもう誰もいない。
誰も君に期待など寄せないし応援などしない。

そして、暫くして気付く、闘う相手は自分以外にいないことに。
君は自分との壮絶な闘いを始める。

皆んなに追いつける可能性は限りなくゼロに近いことも知っている。

それでも君は、息を整え、微かに残る痛みを引きずりながらも走り始める。
時にはそんな行為事態が馬鹿らしくなり、走る事を止め立ち止まる。
そして周りを見渡すが、やはり何もない。
仕方なく足を前に出す。
ゆっくりと歩き始め、少しづつスピードを上げてみたりする。
今まで気にもしていなかった過ぎ去る景色を佇んで眺めたり。

途中、うずくまる者が見えてくる。
君と同じ様に、何かにつまづき転んだ者だ。
君は彼に手を差し出し、一緒に走る事を促す。

君には走り去った者にはできない大切な役割があることに気付く。
途中で遭遇するかもしれない、転んだ人に手を差し伸べることができるのは、最初に転んだ君にしかできないんだと。

そして、君はこう思う。

先頭に立つ事はさほど重要なことではなく、そもそもこのレースにゴールはないんだと。
永遠と続くレースの中で最も重要なことは、自分に出来ることを自分で止めないことだと。

悩み苦しんだ先にしか見えない世界は存在する。
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