2015/3/24 ヘドロ祭り

腹の奥にどんどん溜まる怒り。

処理してもしても、どんどんどんどん溜まって行く。
まるで処理が追いつかない。


その昔ある人がある組織を健全化させる行程の中で、阻害する要因に対してこんな表現をしていたことを思い出した。

「一生懸命何日もかけて綺麗にした床に突然誰かが無邪気にバケツをひっくり返してヘドロまみれにされた気分!」

的を得た表現だった。

それでも昔は何度ヘドロをばらまかれても諦めずに掃除をする人がいた。
当初その行為を周囲の者は無駄な努力のように扱っていた。
誰もが知らん顔で部外者気取りだった。

しかし、時間が経ち少し綺麗になりはじめると、それに賛同し一緒に掃除をする者が増え、徐々にヘドロの量は減り、見違えるように綺麗になっていった。
そうなると、ヘドロをばら撒き難い環境となり、綺麗な状態を維持し易くなっていた。
部外者気取りだった群衆も賛同側に周りそれを喜んでいた。

諦めずに掃除をしていた者は役目を終えそこを去っていった。


しかし、ヘドロはいつの時代もばらまかれるものだ。

今はそのヘドロを片付ける者は何処にもいない。
今はそのヘドロを避けながら歩く者ばかり。
今は本来の床の色を忘れてしまうほど、ヘドロまみれになっている。
今は誰もが自分の周りのヘドロを互いに押し付ける事に躍起になっているから溜まるばかり。

ヘドロ製造はいい加減やめて、掃除をしないと、もうすぐヘドロに埋もれてしまうよ。

と言っても群衆は群衆でしかないから、埋もれてから気付き、後で文句を言うんだ。

群衆とは所詮そんなもんだ。
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