戦時中に自分の命を惜しむ者は卑怯者と罵られ、人格を否定され、罵倒されていた。
その数十年後、その考え方は賞賛され、誰もが共感までしている。
そんな話しがある。
そして同じような話しは僕らの日常の中に多く存在する。
その時その時代の
美徳をちらつかせ、思考や振舞いを支配する。
ありがちな論法が未だに有効に作用する。
そう考える進化のぬるい者が多く存在するからだろう。
自分の頭で考えない、自分の心で感じない群衆がそれに習い、それが絶対的な道理の如く世間に浸透させて行く。
志願という言葉を悪用した強制があったように。
協力や善意や助け合いなどの言葉の裏側を覗く必要がある。
群衆の意見に習うのではなく、自分の頭と心を使った答えを持つ者。
そうでありたい。