2014/8/31 1周年

この日記を書くようになって1年が経過したよ。
去年この日記を書き続けようと考えた僕の意思を思い出してみようと思う。

そう、3年前の9月に僕はそれまでの20年で積み上げてきた多くを奪われたんだ。
そして、それはもう戻って来ないんだ。
突然降り注いだその災難は当然、僕の家族を取り巻く環境を大きく変えて行ったんだ。
それは、僕や家族にとって予期せぬ出来事で、家族に暗中模索する日々を歩かせてしまう事になってしまった。

妻は今迄と何も変わらぬ素振りで出勤して行く僕の後姿をみて涙を流してくれていたらしい。
僕の中では「これしきの事でオタオタすんな」って言葉を呪文のようにリピートしていたんだ。
それでも時間が経つと現実は僕等を襲い始めた。

それ迄、喧嘩などしたことのない僕等夫婦は、ツマラナイことで度々醜い言い争いをするようになっていった。
手探りで探す未来への不安とか、この事態を受入れなければならない、怒りや憤りは、相手の些細な振舞いや言動の変化を敏感に、或いは過剰に感じ取るようになり、お互いに相手を責めたんだよ。
特にその症状は僕に著しく現れた。
外に出ると平静を保ち、自分は平気なんだって顔を装っていたけど、その反動を僕は家に持ち帰ってしまっていたんだね。
この歪は、僕や妻の本意ではないとお互いに理解をしていたけど、醜い感情の支配は凄まじい勢いで容赦無く二人を襲ったんだ。

職場ではそりゃ腫れ物扱いだった。
誰も近づいて来ないよね。
自分の声を思い出せないほど、何日も人と口をきいていない日が続いたりもした。
久しぶりに喋りかけられた時、僕は今迄なんて返事してたんだろうって考えることもあった。
わかるかな、周りに沢山人がいるのに、一日誰とも喋らないって事がどんな事か。
自分が昆虫になったような気分さ。
孤独だったよ。

これが、僕等を先ず襲って来た現実だ。

1年が経過する頃、僕は自分自身が事態を受入れていないことにようやく気付いた。
僕は覚悟を決めて、受入れる努力を始めた。
それは何か自分が頭の先から音を立て崩壊して行くような壮絶な絶望感に苛まれ、ただただ耐え忍び、やり過ごす毎日の繰り返しだったんだ。
来る日も来る日も、僕は自分に言い聞かせなければばならなかった。
「お前にはもう何も残っていない」
「最初から作るしか道はねぇんだよ」って。
そりゃ〜自分の中に次々と生まれてくる汚く、醜い、底知れぬ厭らしい感情を認め、そのような下等な世界に支配されぬようにと自分と格闘したさ。
何度も何度も夜中に目を覚まし、目を閉じれば見たくもない顔がチラつき、その度に意識の中にこびりつくあの亀虫の腐ったような悪臭は朝日が登るまで消えることはなかった。

そんな、ふと気を抜くと地の底まで落ちてしまいそうな日々の中でも、僕と妻は前を見続けよう、なんとかこの状況を打破しようと、相手を責めないように、望まぬ関係性の悪化を必死に防ごうと、懸命に努力をしたんだ。
そりゃもう必死なんてもんじゃないよね、だって家族以外全部奪われたんだからね。

僕は一つ一つの重要な決定に新しい未来を感じる要素を求めていった。
住まいを変え、家具を変え、車を変え、自分を取り巻く環境が変わった事をしっかりと自覚できるように、可能な限り変えていった。
そして、変えたのは紛れもない自分自身の意思だと鼓舞し、これから創造する未来に僅かでも光がさす工夫をしていったんだ。

あれから3年、妻と醜い口論をすることは消え、家族は一つの山を乗り越えようとしている。

ただし、まだまだ終わりではないんだね。

僕は自分と家族のために、3年前には僕の中に存在し得なかった新たな知識と見識を蓄え、経験を踏み、それを継続すると決めたんだ。
その進捗は当時とは比較にならぬほど鍛えられ、研ぎ澄まされた自分が実感できている。
それが、この先どうなるかなんて誰にもわからんけど、ただ行動し継続し、誰にも奪われない力を取り戻すつもり。

その一つがこの日記だったんだね。

この苦い経験を絶対に忘れてはいけないと思っている、そして何度探しても手帳にすら記されていない5年前の会話を思い出せなかったアホな自分への戒めだ。

まぁ一般論を適用させていただけるなら、そんな過去の一瞬の出来事を覚えていて、朗々と喋る奴の方が逆に怪しいって考えるんだろうけどね。

それでもなんでも3年凌いだよ。
日記も1年続いた。
よく頑張ったよ。
まだ行けるよ。まだまだ行ける。


頭も心も壊れてない、お前はまだやれる。
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