2014/8/28 疑問を持たぬ無責任

職場で一つの業務指示が通達されていた。
その指示はあるイレギュラーに対する処理方法の変更とそれに関する報告業務を毎日のルーチンに組み入れると言ったものだ。
全員が「わかりました」などとなんとも無責任極まりない返事をしている。
あまりにも気持悪くなり口出ししてしまう。

僕「そのイレギュラーの頻度は?」
皆「…」

全員が新しく組み入れる業務の最適な状態など創造もしなければ、気にもしていない事が明らかとなっただけだ。
彼等のその向き合い方が将来どう影響してくるかなどは、まぁ当然考えないのだろう。
そんな集団と戯れる耐え難い苦痛。

呆れた僕は「過去の実績から月に数回しか発生していないイレギュラーの報告をデイリー業務として安易に設計し、発信している極めて幼稚な見解しか持ち合わせぬ、集計業務を主とする担当者の都合に合わせる必要なし。」
「ここは毎日報告などしない!」
と、付け加え口出しを辞める。

普段は傍観者気取りの僕の発言と極端な決定に全員が黙ってしまう。

こんなことすら誰も疑問を持たず、議論せず主張しない。
ここはそんな社員をどんどん量産している。
その積み重ねはただ無駄に忙しいだけの、人手の足りない、雑然とした悍ましいほどに汚い事業所が次々と構成されていく。
そして、儲からないだ、キャンペーンだ、節約だ、と一定のサイクルで茶番を繰り返す。

そこには事業目的や理念を実現しようとする志などまるで存在しない。
あ〜こりゃこりゃ。

てな訳で今日も色々な事を考えてクタクタになった。
有難いことに「考え過ぎ」と心配してくれる友人もいる。
しかし、考えないでいる術を未だに修得出来ないでいる。
頭が壊れるか、心がくたびれるか、いずれにしても僕が僕でいるための手段の一つの様に思える。

「厄介者」として扱われる自覚を持つ者は時に壮絶な孤独感を極め、暗闇が目の前に拡がることもしばしば訪れる。
その度に、これは後向きなエスケープではないと自分に言い聞かせる夜を迎える。

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